上川陽子前外務大臣の講演の要旨

上川陽子前外務大臣、元法務大臣 “激動する国際情勢の中での日本の立場”

長谷川会長からは時間の関係上、上川前外務大臣がケネディスクールにいらした時に議会との関連を持たれて、アメリカの政治にも精細でいらっしゃるとの短い紹介があった。上川前外務大臣は、ご自身は外交分野で仕事を続けてきたわけでは全くなく、外務大臣の任命を受け、一昨年の9月より昨年の10月まで丁度一年間外交に関わり、その立場からどう見えたか、またそれ以前は犯罪被害者を救済する法律を議員立法で立ち上げる様な活動をしていた事、現在は議員という立場で、2つのテーマに関わっている。一つは日本ではあまり進んでいない「女性、平和、安全保障(WPS)」に関して旗振りをしている事、もう一つは北極である。先ず、国連システム出身のAFICS-Japan 会員である参加者に対して最前線で仕事をしてきた事への敬意を表された。
大臣に任命される前に携わっていた、犯罪被害者支援に関する議員立法に関しては、政府の仕事を待っていては時間がかかるので、議員立法という手段を取ったが、一人一人が力を発揮していく事が重要で、組織というものでも力を得ていくという事は、組織としての国家というところでも同じと考え、この経験から全ての人が日本の外交官だと思って外交に望んだ。
外務大臣には一昨年の9月13日に任命され、昨年の10月1日まで、第152代の外務大臣を務めた。当時はG7の議長国であった第三4半期から最後の12月まで駆け抜け、大変重要な3ヶ月間だったと思っている。その年から2年に渡って安保理の理事国でもあった。
就任時に、3つの重要課題を設定し、それを外務省の仲間とも共有して、外交に望んだ。第一の優先課題は日本の国益を守るという事。第2は、日本は世界の中で重要な役割を担うという事を明確に意識する事。そして第3には国民から支持を得られる外交である事。その当時の言葉を一文字で表すとすれば、強靭の「靭」というしなやかという字である。力強く、しなやかな外交を目指した。
外務大臣室には大きな世界地図があり、日本で見る地図は大抵太平洋が真ん中にあるが、時々軸足を変えて、北米を中心にしたり、ヨーロッパを中心にしたりして、日本がどの様に見られ、期待されているかを考えながら、活動してきた。
外交は365日24時間、眠っている時も動いているという密度の濃いものである。ある時には他国にいる時に中東情勢が勃発したという事で、他国にいながら、中東諸国の外務大臣と電話会談をするという場面もあった。非常に密度の濃い、しかし一つ一つが重要なので、手を抜く事ができない、外交の最前線だったと思ってい
る。そういう時に最前線で働いている日本人の方々からの情報は大変重要で、これらの情報を外交に落とし込むことを愚直にする事が大事であると当時に、あまり速度が速いと、理解できる前に事が進んで、何かが起きてしまう事に繋がりかねないと、緊張感は常に大きかった。
外務大臣就任1年強で、海外出張は21回、37カ国・地域、述べ45カ国・地域に訪問した。移動距離は44万2252キロ、地球をだいたい11周強。150回のバイ会談・国際会議をした。
全てに関わることはとてもできないので、地域に分けたり、テーマで分けたりしながら、その中でたくさんのバイであったり合同会議であったりをこなしていった。昨年は日本とASEAN の50周年記念があり、日・太平洋の島嶼国との関係では、PALM10という形で動いた。その際は、先ずマルチでこちらから大使を呼び、それからそれぞれの国を個別に訪問した上で、外務大臣の閣僚会合(島嶼国の場合は、フィジーで)を開き、首脳会談へと繋げるという、相乗効果をできるだけ発揮できるように動いた。
さらにアフリカはTICAD9 という形で今年の8月に会合をするわけだが、54の国々を4つの地域に分けて大使たちと面談し、その上で、マダガスカル、コートジボワール、とナイジェリアに出向いた。また、トルコと中近東との関係が深いということで、トルコにも行き、幅広い形で動き、その成果を活かす形でTICAD 9の閣僚会議 を東京で開催し、35カ国とバイ会談をした。
また北欧の国々では、NATO に加入したフィンランドであるとか、ノルウェーなど、NATO、ウクライナという事で、ポーランド、また、コソボ、ボスニアヘルセコヴィーナ、セルビアの3カ国を訪問した。動けば動くほど、関係は良くなる。人間の信頼関係は、くる方を待つのではなく、こちらから行って、声を聞かせてもらう。そのためには、できるだけ情報を咀嚼していく事。そのために外務省の職員、大使館の職員、また国際機関の方々にも協力頂き、一大臣の行動が、意味のある、また持続可能なものになるのだという事を実感した。
第三4半期でバトンを受け継いだ外務大臣ではあるが、その年の5月に行われた広島G7サミットは重要な会合だったと思う。第一に、唯一の被爆国が広島でG7サミットを開いたという事だ。しかも首相は広島県の出身であったので、県民も市民も期待を持って開かれた。また、ここにG20 の議長国である南アフリカやブラジルなどが招待された事、国際機関のトップも招かれて、原爆資料館を訪れたが、これは、広島の場でしかできなかった事だ。アウトリーチ型の外交の仕方、G7というの
がプラットフォームではあるが、マルチステークホールダー・パートナーシップで来てもらう事で、プラットフォームをベースに大きな話を作る事ができる。第2のポイントは、広島サミットでは経済安全保障という項目を明確にアジェンダに入れた事だ。紛争でも、自然災害でも1カ国で考えようとすると困難に直面する。経済の安全保障を掲げ、依存しすぎない、という形で経済外交を進めていく事が重要だ。2プラス2の考え方の重要性も出てきた。経済と外交の2プラス2もあるし、防衛と外交の2プラス2という側面もある。いろんなチャネルを使って、世界を導いていくという日本の立場の重要性を実感した。
重要な国の首脳の定期的な往来は極めて重要だ。訪米の時に2つ大きな出来事があった。バイデン氏の時だが、日米同盟と同志国の関係をどう持っていくかで、日米韓から始め、とてもうまく行った。昨年4月のフィリピンのマルコス大統領の時は、経済大臣や、かなり多くの大臣がいたが、日米比でサミットを開催することになった。その後、上川前大臣もフィリピンへ行き、日比の外交・防衛2プラス2をやり、その先の外交についてもコンスタントにできた。日本がASEAN やTICADで大きな地域的関係をつくっていた事が、バイの時にも活かせる事を実感した。
その意味では、G7の枠組みは来年で50周年を迎えるが、他の枠組みと繋げていけば(例えばG20 )、非常に重要な枠組みだと考えている。
今年1月20日にトランプ大統領の就任式があったが、その前に幾つかの用事でワシントンに行ってきた。一つ目の目的は、国連の安全保障理事会で決議した1325号の「女性、平和、安全保障」(WPS) の25周年だ。残念ながら、WPSの計画は4期目になるが、日本の議員の中ではほとんど知られていなかった。日本ではWPSの中で、災害による脆弱な人々に焦点を当ててみる事ができる。長谷川会長の下、平和構築に大きく貢献した事を考えると、WPSにおいても大いなる力を発揮しなくてはならないと思った。日本でWPSの旗振り役を果たしていたが、Women, Peace, Security Parliamentary Caucus Japan という議連を作った。もう一つのテーマは、北極だ。海洋が議題に登る様になると思っている。今、文部科学省が主幹となっているJAMSTECという機関が砕氷機能をもつ船を建造して、来週進水する。来年の秋には動く国際的な研究船という形で国際的に研究課題を募集して国際チームで北極で研究に臨む。
また、これからはインドが強い影響力を持つと考えている。人口は現在世界一位になっていて、一州だけで2億人(日本の人口と匹敵する)という州がある。色々な顔を持っていて、一つのインドと外交をするという細い線では捉えきれず、幅広い体制でかまえていなくてはならない。インドで活動している企業とアフリカへ行っ
たり、ヨーロッパで仕事をしている企業と中東へ行ったりする事で日本の外交にも幅が出てくる。外務省の中に広域外交担当官というポストを作った。
現在日本のODA は1990年台のピーク時の半分に減っている。日本の寄り添い型の外交はとても評価を得ている。今回予算にそれを反映させる様少しつけている。
長谷川会長からウクライナへ行った時の感想を求められ、上川議員は電気がなく冬で寒くなっているという事だったので、政府を通して送ろうとすると時間がかかるので、議員連を作って送ってしまったと答えた。今日のウクライナは明日のアジアかもしれないと、自分ごととして捉える様にしている。原動力は女性や子供たちが目をキラキラさせる様な活動をしたいという思いから来ている。

以上

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